小学校低学年(1〜3)向けの回答には、わかり易い読み聞かせ音声をつけます。

アメリカ独立戦争の終わりには何が起きたのでしょうか?戦闘が終わった後、アメリカの人々がどのようにして全く新しい国を築き上げたのかをご紹介します。

画像:1781年のヨークタウンの戦いで、イギリス軍がジョージ・ワシントンに降伏する様子を描いた版画。Michael Lee/Moment via Getty Images


[公開]:2026年9月21日 午後10時36分(AEST)
[更新]:2026年9月22日 午前3時42分(AEST)

[質問者]:ヴェーダさん(11歳、イリノイ州クリスタルレイク)
[答えてくれる先生]:Sandra Slater

1781年の秋、アメリカ兵とフランス兵からなる大陸軍は、疲弊しながらもイギリス軍をカロライナ地方からバージニアの海岸沿いへと追い詰めました。大陸軍は3週間にわたり、フランス海軍がイギリス海軍と戦う中、イギリス軍を海を背にした状態で包囲しました。

包囲されたイギリス軍は1781年10月19日、ヨークタウンの戦いで降伏しました。これは独立戦争における最後の主要な軍事衝突でした。こうしてアメリカは戦争に勝利したのです。

ほんの一握りの植民地が、強大な大英帝国を打ち負かすなどとは誰も予想していませんでした。アメリカの勝利の知らせがロンドンに届くと1782年に和平交渉が始まり、1783年にはついにパリ条約が調印されました。

独立戦争の直後、経済は壊滅状態にあり、2万5000人のアメリカ人が命を落としていました。さらに、イギリスやジョージ3世への忠誠を貫いた「ロイヤリスト(王党派)」6万人以上がアメリカを去ったことで、混乱が生じました。その中には、イギリス軍に加わっていた1万5000人以上の元奴隷の人々も含まれていました。

そこで、「次はどうするのか?」という課題が浮上しました。国を築くことは、戦争をすることとは全く異なるものでした。そして、それは一朝一夕に成し遂げられるものではありませんでした。

新しい国を築く

独立戦争の6年にわたる戦闘の間、各州は独自の憲法を起草し、それぞれの州政府の仕組みを定めました。 1777年の早い段階で、新たに「アメリカ合衆国」と名乗るようになった国は、「連合規約(Articles of Confederation and Perpetual Union)」を採用しました。これは、独立戦争中にアメリカ人が結束して立ち向かえるよう、すべての州を一つの枠組みの下にまとめる最初の体制を定めたものでした。ただし、正式な政府を創設するものではなかったため、これ自体は「憲法」とは呼べないものでした。

連合規約が定めた枠組みは、戦時下では機能しましたが、新しい国家を建設するにはあまりに脆弱なものでした。そこには指導者となる大統領を置く規定も、法が破られた際に審理を行う裁判所制度を設ける規定もありませんでした。また、外交政策を策定する手段もなければ、各州が他国とどのように貿易を行うべきか、あるいは海外から輸入される物品にどう課税するかといった取り決めもなされていませんでした。

新国家は経済危機に陥り、政府の弱点が露呈することとなりました。独立戦争前、白人のアメリカ入植者たちは、西側諸国の中でも最高水準の生活を享受していました。しかし、戦時債務やインフレ、そして巨大な大英帝国との利益の大きい貿易が一時的に途絶えたことなどにより、1780年代のアメリカの人々は生活の維持に苦労することになりました。

写真:1787年の憲法制定会議の参加者たちは、今日のアメリカ政府の基盤となっている文書を起草しました。(GraphicaArtis / Getty Images)

そこで、連邦政府をどのように改善すべきかを議論するため、1787年の夏、フィラデルフィアのインディペンデンス・ホールに各州の代表者が集まりました。彼らは、権力を異なる部門に分散させ、「抑制と均衡(チェック・アンド・バランス)」の仕組みに基づく政府を構築することで合意しました。

彼らは、法律を制定する機関として、下院 (the House of Representatives) と上院 (the Senate) から成る「立法府」を設けました。また、選挙で選ばれる大統領 (president) と副大統領 (vice president) を擁する「行政府: executive branch」も設置されました。さらに、新たに起草された憲法を遵守・維持する役割を担う最高裁判所 (Supreme Court) を含む「司法府: judicial branch」も設けられることになりました。

1789年に発効した合衆国憲法 (the United States Constitution) において、あらゆる規定が定められました。発効後すぐに、連邦議会下院は修正条項の起草に着手し、個人の自由や市民の権利の保護を明記しました。これは、1776年に植民地が英国からの独立を宣言した際の「独立宣言: the Declaration of Independence」の精神に立ち返るものでした。

1791年には「権利章典: The Bill of Rights」が承認され、言論、集会、信教、報道の自由、個人のプライバシーや財産権、そして陪審員による公開かつ迅速な裁判を受ける権利などが、市民の権利として保障されました。

これらの権利は、今日でも国の法として有効です。

自由の制限

憲法は大統領の選出を定めていましたが、実際に投票できたのは誰だったのでしょうか?1789年当時、投票が認められていたのは、白人男性であり、かつ土地を所有し、21歳以上で、なおかつクエーカー教徒、ユダヤ教徒、カトリック教徒ではない者に限られていました。こうした要件により、建国間もない米国の大多数の人々は投票権から除外されていました。1790年の帰化法 (The Naturalization Act of 1790) では、連邦市民権の対象が白人のみに明示的に限定されていました。では、それ以外の人々はどうだったのでしょうか?

独立宣言の文言やそこに込められた約束を拠り所として、アメリカ独立戦争後、様々な集団が権利の確立を求めて声を上げました。

アフリカ系アメリカ人 (African Americans) は北部諸州で自由を求めて請願を行いましたが、その成果はまちまちでした。メリーランド州 (Maryland) より北に位置する州は、即時または段階的に奴隷制を廃止する動きを開始しました。その先駆けとなったのは1777年のバーモント州 (Vermont) であり、最後まで奴隷制を維持していたニューヨーク州 (New York) が1799年に廃止を決定したことで、この一連の動きは完了しました。

奴隷制が終結したのは1865年に合衆国憲法修正第13条が批准されてからのことであり、続いて1868年には修正第14条によって、合衆国で「出生または帰化したすべての人: “all people born or naturalized”」に市民権が与えられました。1870年の修正第15条は、人種を問わずすべての男性に投票権を認めましたが、女性は依然として対象外とされていました。

写真:修正第15条により、黒人男性には1869年に投票権が保障されましたが、一部の地域では、実際に投票を行うことが可能になるまで20世紀後半まで待たなければなりませんでした。(Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images)

女性たちはアメリカ独立戦争において、看護、諜報活動、ボイコットの組織化、軍の野営地に従軍しての家事支援、さらには農場や事業、家庭を守るための留守番など、様々な形で貢献しました。独立戦争後、白人女性は市民とみなされ教育の機会も拡大しましたが、有色人種の女性はそこから除外されていました。女性に投票権が保障されたのは、1920年に修正第19条が成立してからのことでした。

ネイティブ・アメリカンは、独立戦争中および戦後、極めて大きな困難に直面しました。戦争を正式に終結させた1783年のパリ条約により、合衆国の領土はミシシッピ川およびカナダ国境まで拡大されました。この領土拡大は、当該地域のネイティブ・アメリカンにとって、急速な土地の喪失と、新たに開放された地域へ流入するアメリカ人入植者による激しい暴力にさらされることを意味していました。

写真:ワシントンD.C.の連邦政府に請願を行うネイティブ・アメリカンの代表団。(Bettmann via Getty Images)

個々の部族は合衆国との交渉を試みましたが、大きな成果は得られませんでした。すべてのネイティブ・アメリカンが合衆国の市民として認められるようになったのは、1924年にスナイダー法 (the Snyder Act) が成立してからのことでした。

独立宣言に示された希望を拠り所に、アメリカ人は自由 (freedom) と代表権 (representation) を求めて戦い、今もなお戦い続けています。独立宣言 (the Declaration of Independence)、合衆国憲法 (the Constitution)、そして権利章典 (the Bill of Rights) に盛り込まれた約束は、常に進化し続けるアメリカ (an ever-evolving America) の姿を反映しており、そこには常に、すべての人にとっての「生命、自由、幸福の追求」という希望が込められています。


この記事は、合衆国憲法における連邦最高裁判所に関する記述を簡潔にするため、内容が更新されました。[更新]:2026年9月22日 午前3時42分(AEST)

この記事は、クリエイティブコモンズライセンス(CCL)の下で The Conversation と各著作者からの承認に基づき再発行されています。日本語訳は archive4kids の翻訳責任で行われており、The Conversationによる正式な翻訳ではありません。オリジナルの記事を読めます。original article.

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